タンナルモア
自らを天正10年6月2日の『本能寺の変』の火の粉から生まれ、現代に転生した不死鳥だと勘違いしている鳥。たまに身体が西暦2221年代の銀河鉄道関係者だと自負する機械化鳥となった未来版も登場する。
生まれ 長野県小布施町栗の畑の木の上
幼鳥時~鳥小学生 幼少時はブルートレインなどの鉄道マニアで
鳥小1年時代にはIQ150近くあったといわれ、東鳥大間違いなしと担任から言われたらしい。
鳥小学校高学年~鳥中学時代 空手道を習い持ち前のリーダーシップを発揮した活発な高学年期を過ごすがあまりにアニメオタクだった為に鳥中学時代は鳥いじめにあう。
そんな中1987年12月行われた北斎ホールでの差別撤廃を叫ぶ【トリーダ宣言】を行い、その後は持ち前の努力鳥な一面で難関の長野鳥専機械科に入学。
鳥専時代~しかし入学と同時に何故か駄目鳥に墜落。
特に成績は下から数えた方が早く、趣味の球蹴りは全国大会に出場するが、元は足先が実に不器用な鳥である為にやりたいゲームメーカーやFWでなく得意技はヘッドで結局DFしか出来なかった。
超劣等鳥ではあったのだが、ただ一つ得意教科で【美術】があり当時の鳥専生としては稀な100点満点を取る事が出来た。
しかし5年ある学鳥生活の中で美術のあるのは二年までだったのでその後実に苦労する(入る学校間違えたかな?美鳥大だったなと)
そんな時、1988~1992学鳥時代に実巣の乗用モアーの開発を見て、その実際のパワーと楽しさに魅せられて都会での就職を自ら辞めて、卒業後はこの商材に自らの夢を掛けたにみたくなるのだった。
実は中鳥3年の1987年F-1解説者今宮さんがプロストをプロフェッサーと呼び始めた時からF-1のその世界観に興味を覚え、自らも鳥専時代はホンダDIO50やNSR250Rにまたがり飯綱や菅平峠をかっこしたり、サーキットではヤマハTZR250に乗りライセンス所得まではした経験もある。
レース目前にして転等&怪我により、レース活動はデビューする前に即時中止となった。(好きなレーサーはアランプロス、ナイジェルマンセル、ステファンヨハンソンだったらしい)
その後は【自らの育った巣】にそのまま【就職】都会にも行かない、趣味も駄目、そんな鬱積した思いを晴らしてくれたのが心躍らせてくれた【乗用モアー】の販売と【開発提案】であった。
そんなゴーカートレースカーに似た機械にほだされたまでは良かったのだが、、結果、営業販売の優秀な鳥とメーカーに間違われ、どんどん各農機メーカーの新型を売るように強制され【網(ネット)の申し子】+【若き経営鳥】などという世間のレッテルからも張られ、ますます本当はやりたかった(飛びたかった)事から遠のく事になるのだった。
そして、その鳥としての羽ばたく事を忘れて24年・・・
自らも深く関った商工会青鳥部のイベントがきっかけでその【想い】に気づく事になる。
2014年8月31日の峠のスプラッシュゴーカートのレース出場
見事優勝!
『そうだ俺はレーサーのなりたかったんだ!』
しかしながら、本来はレース仕様の鳥が長年レース活動は出場しなかったせいか、まったく飛べなくなってしまっていた。
しいていえば全力で走れて時速15km/h・・
大丈夫だった。本来はレース鳥だったのだ。
そのたった時速15.000mの中にも【熱き】物を見ることが出来たのだ!
そして2016年5月15日ついに【世界初】の試みが【オカエリナサイサーキット】で行われる事になる・・・